2009年1月31日土曜日

堀川遊覧船2



軽いエンジン音を立ててすすむ遊覧船からは、説明をしている船頭の声がスピーカーから流れてきます。

今度暖かくなってきたら、それも桜の咲く頃に乗ってみようかなとも考えます。
乗船場は、あちこちにあるようですが、大手門辺りが始点のようですから、こちらからのほうが良いかなと思ったりします。

堀は繋がっていないと思いますから、一周して元に返ることはできません。
自家用車でない私などは、振り出し近くの駐車場へ戻ることなど考えなくても良いのですから気楽なものです。

2009年1月30日金曜日

堀川遊覧船

松江城のお堀を巡る遊覧船です。



夏ならともかく、という思いが強くて、乗ってみようという気持ちにはなりませんでした。

冬場には炬燵がしつらえてあるといいます。
雪の降る様を炬燵に当たって眺めるというのも良いかも知れませんが、風流を解さない野暮人は、暖房のある部屋で腹の方から暖めたくなってきます。


本屋から注文した本が届いたと電話があった。
本を取りに行ったついでに「オペラカルメン」というのがあって、劇場の雰囲気そのままを映画にしたといいます。途中休憩もあるものらしいのです。試しに見て帰ることにしましょう。

2009年1月29日木曜日

美味しいです。

美味しいだろうかなとこちらが思うだけで、丸飲みというか、一飲みです。



紅い色が食欲を刺激するのでしょうか。近くに白い万両があっても、先ず赤い実の万両から食べ始めます。
南天の実は、シロハラも食べるようですが、万両はヒヨドリ専用のようです。仲間内での縄張り争いを賑やかに繰り広げます。

シロハラは、苔や落ち葉をひっくり返してミミズなどを探しています。地面だけでなく、鉢物の苔もひっくり返しますから、庭師?の家内を嘆かせています。

天気の良かったのは一日だけだったようで、今日からは雨か雪が降る天気になるようです。
「9000歩」歩きました。1万歩というのは滅多に記録できません。

「007」の映画を見てきました。
アクションもよりド派手になって、煩わしいほどでした。
これでもかこれでもかと刺激を与えないと慣れっこになってしまうからなのでしょうか。
楽しむ映画としては、こういったアクション映画は私には合わないように思えました。

2009年1月28日水曜日

宍道湖(松江しんじ湖温泉を眺める)

この杭は何に使うのしょうか。渡り鳥の鴨が休んでいました。



向こうに見えるのは、北松江のホテル群です。松江しんじ湖温泉もあります。
寒い冬には温泉が一番でしょうか。


晴れ間が長時間続くといいます。
自転車に乗って出掛けてみたいと思っています。
しかし、案外映画館などに立ち寄るかも知れません。

2009年1月27日火曜日

メジロ


曇空が背景です。メジロの顔をはっきりさせようとしますと、背景が白っぽくなってしまいました。
別の写真をバックに重ねることもできそうです。

タニウツギの枝に、足を踏ん張っている姿は可愛いものです。
先日の最高気温が3度では、寒くて外で撮影ができませんので、窓越しにメジロを撮影して楽しんでいます。

2009年1月26日月曜日

すずめ

人間の生活圏の近くにいるのに、人の姿を見ると直ぐに逃げてしまいます。


屑米をやって慣らした裏のおばさんのようには、なかなか行かないようです。
おばさんの後を追って歩いて?いましたが、スズメの寿命はどれくらいなのでしょうか、自然死でなくて、餌になってしまったのでしょうか。直ぐに姿が見えなくなってしまいました。
カラスも食べます。食物連鎖の中でも、そう高くないところに位置するもののように思えます。

2009年1月25日日曜日

アフリカクロトキ

朱鷺の仲間です。
昨年は、三組のつがいから、八羽の雛が孵ったといいます。


すっかり大きくなっていますから、私には雛と親鳥の区別が付きません。ショウジョウトキというのも同居していますが、こちらの方には、雛が育たなかったようです。 朱鷺の仲間の飼育実績がものをいって、佐渡トキ保護センターにいる日本朱鷺の、分散飼育をする場所の一つに、出雲市が選ばれたといいます。新居が造られるのは、“しまね花の郷”の東側に、格好な場所が準備されているようでした。

2009年1月24日土曜日

嫁が島


連続テレビ小説“だんだん”にも登場します。
宍道湖に浮かぶ小島です。
この島へは歩いて渡れるといいます。
腰の辺りまで水に浸かるようですから、暖かい日が良いのでしょう。
それも勝手に歩いて渡ることはできないとのことです。

大雪になるといいます。風も強くなってきています。
でも今日は、歯医者の予約が入っています。それも、8時の予約ですから、朝早くから出掛けます。
新たに降った雪に足跡を付けてきます。

2009年1月23日金曜日

武家屋敷4



武家屋敷の並びにあるソバ屋。
割子(割子)が好きですから、ソバ屋がありますと入って、その店の味を確かめます。
たれの味は店によっていろいろです。薄口、辛口など、各人の好みによって好きな店が決まります。
でも、ソバそのものの味にこだわってくれる店が、やはり一番ということになるのでしょうか。


昨日は、比較的天気がよいので、自転車で出掛けてみました。
しかし、風が冷たくて、遠くへは行けませんでした。
今日からは、寒波が盛り返してくるといいます。

2009年1月22日木曜日

武家屋敷4



屋敷前のお堀端
年数を経た松並木です。お堀端で、侍姿をいつも眺めていたのでしょうか。
今日は久しぶりに陽が差すという予報です。
暖かくして外出してみましょうか。

2009年1月21日水曜日

武家屋敷2


白壁がやけに白く感じます。
肩を怒らせて、武士が歩き回っていたのでしょうか。


アメリカでは新大統領が就任した。
アメリカだけでなく、世界全体に影響力を持っている。
どんな政策を進めていくのだろうか。

2009年1月20日火曜日

武家屋敷



建物の直ぐ前には舗装路ができていて、観光バスだけでなく、定期バスも走っています。
お堀には、小型の観光船がこれまた賑やかに動き回っています。


今日は大寒です。また本格的な寒さになるといいます。

流感で、学校閉鎖や、学級閉鎖の記事を目にします。

児童生徒には、予防接種などやらないのでしょうか?

やっていても効果がなかったということでしょうか。


また外出したくてもできない状態になってきます。

2009年1月19日月曜日

小泉八雲(こいずみやくも)



本名はラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)ギリシャ生れのイギリス人。

奥さんの小泉セツから聞いたものを『怪談』として本にしている。
松江城の『コノシロ伝説』も書いてあるようですが、それに関しても、天守閣に現れた女は、この城を築く時に人柱とされた女であったとか。

銅像は、武家屋敷のお堀端に立てられています。武家屋敷の一郭には、小泉八雲が住まいした旧居もあります。

2009年1月18日日曜日

シロハラ


小さな庭ですが、いろんな木の実が付きます。
ヒヨドリとシロハラが取り合いをしますが、体の大きいシロハラが先に食べます。ヒヨドリ同士の争いの方がより賑やかです。

メジロとウグイスが訪れてくれました。
メジロは山茶花の蜜がねらいのようですが、ウグイスは何を探しているのでしょうか。

2009年1月17日土曜日

雪の北山


出雲市の北側にある山で、一般に北山と呼んでいます。一番高い鼻高山でも536㍍の低山ですから、普通の山歩きには適当です。
鹿もいます。一人歩きをしていて出会った雌鹿に、前足でトンと踏む格好で、脅されたことがあります。
よく行っていましたが、ツツガムシの被害者がでたことから、この山からは足が遠ざかりました。

「ハッピーフライト」という題名の映画を見てきました。
とても楽しめました。深く考えたりすることが苦手になっています。
その点身近にあって利用しているのに、あまり知ることのなかった、関係者の働いている人たちの様子を描いた、この映画は勉強にもなりました。

そして今朝の新聞では、ニューヨークのハドソン川に旅客機が不時着水するという、タイムリーなニュースを読みました。 死者なしがとても嬉しいことでした。
事前に予習をしていたことが役に立ったようでした。

2009年1月16日金曜日

松江城5



松江城の堀の周辺は桜がたくさん植えられています。


気圧の配置が緩んできたため、大雪の峠は過ぎたといいます。
大寒を20日に迎えます。まだまだ寒さは一層厳しくなるようです。
立春が2月4日ですから、言葉だけでも春が早く来て欲しいものです。

“はるよこい はやくこい あるきはじめたみいちゃんが、あかいはなおのじょじょはいて おんもへでたいとまっている”の歌を唄ってみます。『みいちゃん』だけでなくても、春を待つ気持ちが強くなっている人が、多いと思います。

2009年1月15日木曜日

松江城4




城郭。堀に囲まれています。


また明日頃からは大雪が降るといいます。
停電が山間部で起きていますが、こんなことも珍しいことです。
復旧しても、同じようなことが起きて、3日も続いているといいます。

2009年1月14日水曜日

松江城3


杉木立の間から見える千鳥城。


久しぶりの大雪である。雪を踏むとキュッキュといい音がする。
医大へ受付順番のカードを取りに行くが、音を楽しむために往復が苦にならなかった。
メジロ、ヒヨドリ、シロハラ、キジバトが姿を見せる。
部屋の窓を拭くと逃げるし、拭かないと曇っては撮影をすることができない。結局、鳥の姿は確認するが写真には撮れなかった。

2009年1月13日火曜日

松江城2


角度を変えてみました。
厳しさを、天守閣の姿から感じられます。


『女性塾の卒業作品展』を見てきました。作品というのは写真のことです。
六人の女性の方たちは、写真が好きなだけでなく、感性の鋭さも感じさせられました。
やはり我流で楽しむだけでなく、よい指導者に恵まれなければいけないのかなと思いました。
元々、カメラに触ったことがないという人たちばかりではないのでしょうが、一年という年月で、こんなに素敵な写真を作ることができたのは、本人の持っている感性によるものと思われます。
その良さを見つけ出して指導された、講師の力を充分に感じることができました。

今日もまた、たくさん勉強させていただきました。
忘れることが多いのですから、次々と新しい知識と感動を取り入れなければなりません。

2009年1月12日月曜日

松江城天守閣


いつ眺めても立派な城です。
別名「千鳥城」という重要文化財です。

この城には、「コノシロ伝説」というのがのこされています。

【コノシロ伝説】
寛永15年(1638)松江松平家初代藩主松平直政公が信州松本から入国し初めて松江城天守閣へ登ってみた。
最上階の天狗の間までさしかかると、そこに一人の美女が現われ「この城は、わらわが城なり」と言った。直政公は、瞬時に「このしろ(城)が欲しければ明日にでも与えよう」と答えると、女は消えていった。
直政公が、魚の「コノシロ」を取り寄せ天狗の間に置かせておくと、その翌朝「コノシロ」を乗せておいた三宝が荒神櫓で発見され、「コノシロ」は無くなっていた。
その後二度と女が姿を見せることはなかった。この妖女は築城の際の人柱だと噂されたと言うが、直政公の機転力を示すものとしても伝えられている。(このことは、天守閣東側にある櫓跡地の案内板に書かれています)
北風が強く吹き荒れています。今日は『成人の日』の祝日ですが、国旗は立てられそうもありません。出雲市では、先日済ませてしまったこともあって、知り合いの娘さんを祝ったばかりです。

2009年1月11日日曜日

吉兆さん4


町内総出での大仕事です。
みんな歳をとりました。
若い人もかなりいましたが、正月だけの参加でしょうか。
神前などで歌うのは、「大社神謡」という祝い歌だといいますが、歌える人が少なくなっている様子でした。

2009年1月10日土曜日

吉兆さん3



神前へ向かう吉兆の行列。
太鼓と笛の囃しが正月気分を高めてくれます。


普通西日本というのは何処をさすの?JR西日本はどうなの?などというのが疑問になってきました。
天気予報などについては、地域名は「北日本・東日本・西日本。南西諸島」に分けられているといいます。

私の住まいする西日本地域は、天気予報などでは、【近畿・中国・四国・九州北部・九州南部地方】ということになっています。
ところがややこしいことには、近畿地方というのは、三重県を含める場合と、含めない場合があることです。

JR西日本の方は、天気予報などの区分とは関係なく、別の区分がなされています。
【近畿(三重県を除く)・中国・北陸3県(福井県、石川県、富山県)】

「9割が直流区間で、後の1割が交流区間である」と鉄道に詳しい人が教えてくれました。出雲市までの電化された区間は、伯備線も含めて直流区間であるといいます。
一割の交流区間というのは、北陸地方の一部のようです。

2009年1月9日金曜日

吉兆さん2



神前で、祝い唄を歌うための準備中。
子どもの番内が、最前列に並ぶのは珍しいことではなかろうか。

2009年1月8日木曜日

吉兆(きっちょう)さん



番内や町内会世話人が音頭をとって、町内の人たちと一緒になって、祝い歌を唱和していた。
幡(ばん)には歳徳神(としとくじん)の文字が書かれている。行列は番内を先導にして、笛太鼓で景気を付けていた。


お節料理も、個々の量は多くないのに、品数が多いと完全に片づけてしまうのにはかなりの日数がかかった。
同じものを目の前にするのは、やはり風習とはいえ、お節料理というのは一日で飽いてしまう。

鍋物が欲しくなる。
家内にいうと、まず、お節料理を片づけてからだという。

特に今年は、我々夫婦だけだったから、片づけるには、二人ともかなりの努力を必要とした。
有名店のお節料理であるから、酒で流し込むようにする程のものではないのだが、かなりの酒を必要とした。

今年も12月になると、お節料理を注文するのであろうが、量の少ないものにして欲しいものだと、まだずっと先のことを考える。しかし、そんなときに限って、予定外の来客があったりするものだ。

2009年1月7日水曜日

えべっさん(恵比寿大黒天)




番内さんの向こうを張ったのか、恵比寿さんの面を着けた人物が二人歩き回っていた。
番内さんの面は、愛嬌のある面もるが、所詮、鬼の表情を表しているものだ。

それならば、エビスさんのにこやかな面を着けて、福をばらまいて歩いても良いかな、と思ったのが、この二人なのだろうか。
竿には「おめでとう」の旗印と真鯛が下げられていた。
何もしないで歩くだけでも、見ている参拝客が幸せになるようだった。

この二人は、自分が引いたおみくじを枝に結んだ後、背の低いおばさんのために、おみくじを結ぶのを手伝っていた。勿論、お手伝いもにこやかな表情を崩さなかった。

2009年1月6日火曜日

番内2


番内さん(普段、親しみを込めて、「さん」付けで呼んでいる)は、参拝者の要望で、一緒に記念撮影にも応じてくれる。
この参拝客も、厄落としをするために、嬉しそうに写っていた。

厄よけを願う親は、番内さんと一緒に並んでる我が子の姿を、一生懸命にカメラに納めていました。

2009年1月5日月曜日

番内(ばんない)




親子の番内に出会った。父親の方は若々しいので、厄年という年齢なのかどうかはっきりしないが、親であることには間違いなさそうだ。
側で付き添う母親もとても嬉しそうだった。

2009年1月4日日曜日

旧出雲大社本殿2




出雲大社旧本殿を東北側から見たものです。
特別拝観日には、この建物に上がることができました。
外の縁側を一回りして、正面から部屋の中を拝観するだけでしたが、天井に描かれた彩雲の鮮やかさが思い出されます。

2009年1月3日土曜日

旧出雲大社本殿




取り壊されることになった、いままでの出雲大社本殿です。
実に立派なものです。
新しい神殿はどんなものになるのでしょうか。平成25年の遷宮が楽しみです。

2009年1月2日金曜日

出雲大社(御仮殿)




本殿は新たに立て替えられるために、現在ご神体はこの御仮殿に遷されています。
初詣の参拝も、拝殿でまずお参りをして、正月三が日にだけ入れる、本殿の近くで拝んだものです。
拝殿であった、お仮殿での参拝だけになりました。

平成の大遷宮といわれるこの度の『造営遷宮』は、平成25年に遷宮祭が行われます。

2009年1月1日木曜日

明けましておめでとうございます。



今年は丑年ですね。どんな一年になるのでしょうか。
昨年は入院までしてしまいましたから、今年は、できるだけそんなことにならないように、気張らずに頑張ることにしましょう。

写真は出雲大社の神牛です。迫力がありますね。
困っているところか、力づけて貰いところの部位をなでるのだそうですが、一番なでられてブロンズが輝いているのは頭なのでしょうか。

私は頭もですが、心臓あたりをなでたいと思いますが、どの辺りなのでしょうかね。